壺の話

今日の帰り道

ジュニアと話していたら

「コーチ!僕、外国語大学のALTの先生が集まる会に参加できる事になりました!」

という報告があり

「良かったやん!楽しいと思うよ!」

と話をしていました。

本人は英語が好きみたいで凄く楽しみにしている様子でした。

その姿をみて

「いいなぁー壺の中に大きな石入れれるやん!」

っというと

なんすか?それ?

という話になり

壺の話をすることになりました。

引用します。

「この壺は満杯か?」の話

「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。

「この壺は満杯か?」

教室中の学生が「はい」と答えた。

「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。

砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。

「この壺は満杯か?」

一人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。

それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

「この壺は満杯か?」

学生は声を揃えて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ

彼は学生に最後の質問を投げかける。

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。

「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」

「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」

君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう、と教授は話しはじめる。

それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり……。

ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。

それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。

もし君たちが小さな砂利や砂、水など、自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう。

https://diamond.jp/articles/-/262052

彼にとってその事柄が大きな岩がどうかはわからないですが、

今の40を過ぎた私から見ると

第二言語で道を切り開こうとしている15歳は羨ましさも感じました。

きっと彼にとっては自主的に申し込んだ、学校の成績とは関係ない授業。

それを自らの意志で受けに行く姿勢。

大きな壺の中に大切な【経験】という大きな石を詰め込んで、これからの進路の事、テニスとの向き合い方、将来の夢色んな事を考えていること感じました。

今日の事ブログに書くからねーといって了承をもらいました。

若いうちに失敗や経験を積んで、カッコいい大人になってほしいなーとおじさんは思いました。

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