壺の話
今日の帰り道
ジュニアと話していたら
「コーチ!僕、外国語大学のALTの先生が集まる会に参加できる事になりました!」
という報告があり
「良かったやん!楽しいと思うよ!」
と話をしていました。
本人は英語が好きみたいで凄く楽しみにしている様子でした。
その姿をみて
「いいなぁー壺の中に大きな石入れれるやん!」
っというと
なんすか?それ?
という話になり
壺の話をすることになりました。
引用します。
「この壺は満杯か?」の話
https://diamond.jp/articles/-/262052
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。
砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
一人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺は満杯か?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ
彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」
君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう、と教授は話しはじめる。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり……。
ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。
もし君たちが小さな砂利や砂、水など、自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう。
彼にとってその事柄が大きな岩がどうかはわからないですが、
今の40を過ぎた私から見ると
第二言語で道を切り開こうとしている15歳は羨ましさも感じました。
きっと彼にとっては自主的に申し込んだ、学校の成績とは関係ない授業。
それを自らの意志で受けに行く姿勢。
大きな壺の中に大切な【経験】という大きな石を詰め込んで、これからの進路の事、テニスとの向き合い方、将来の夢色んな事を考えていること感じました。
今日の事ブログに書くからねーといって了承をもらいました。
若いうちに失敗や経験を積んで、カッコいい大人になってほしいなーとおじさんは思いました。
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